King Bee:中西輝夫
はじめに
OYCの広報委員会から”ヨットとロケットの違いについて”書いてくれと言われて一年以上が過ぎてしまった。
違いは沢山あるだろうから書くネタには困らないだろうと、生来の楽天的性格ゆえ、いとも簡単に引き受けてしまった。
しかし、いざ書き始めると自分は、ヨットについてもロケットについても物を書くほどの知識を持ち合わせておらず、筆が進まなかった。
そこで、少し(?)時間をくれる様御願いし、先ず参考資料探しから始めた。
ロケットについては、仕事がら会社の図書室を漁れば入門書から専門書まで豊富にあり、資料探しに手間取らなかった。しかし、ヨットについてはテーマの参考になるような図書や資料を、手軽に見つける方法は知らない。そこで、あちこちの書店で海に関するコーナを探した。
以前に、小型船舶操縦士の講習時に通った港区の築地の書店に海事図書のコーナが有ったことを思い出し訪ねてみた。
そこで何とか参考になりそうな本を見つけ、手持ちの本と合わせやっとネタを揃えることが出来た。
これから、仕事の合間(?)、出張時の車内(!)、かみさんの家事手伝いの合間を縫って、数回に分けて書いてみようと 思います。
ベテランセーラーやその道の専門家から見れば笑っちゃう様なお話になるかも知れませんが、何事も中途半端な人間ですので、ご容赦願います。
違い(その一)
・・・ロケットの生まれはヨットより古い
それでは、ヨットとロケットの起源と生い立ちの違いから話し始めましょう。
何をもって起源(Origin)と言うか、各々説が有るが此処では高尚な学説を論じるつもりは無く話の面白い説としよう。
ロケットの起源は11世紀、これに対しヨットはずーっと後の17世紀になる。
先ず、ロケットの起源と生い立ちから、お話しましょう。
ロケットと言う言葉から、皆さんが頭に浮かべるのは、我が国のH-IIに代表される衛星打げ用の宇宙ロケットでしょう。
しかし、ロケットの生まれとその発展過程では常にきな臭い匂いが漂っていました。
現実に、近年静かな日本海を騒がせている
弾道ミサイル「テポドン」。
湾岸戦争で有名になった「スカッド」とそれを迎え撃った「パトリオット」等の戦術ミサイルもロケットです。
大陸間弾道弾等の戦略ミサイルは、核弾頭を衛星に積み換えれば宇宙ロケットになるし、その逆も出来ます。 両者は技術的には全く同じ物です。と言うよりも、第二次世界大戦末期にドイツが生み出した「V-2」ロケット の技術を冷戦時代に米ソが発展させ、大陸間弾道弾と言う究極兵器を完成し、それを平和利用したものが宇宙ロケット と言うのが判りやすいと思います。
何時の時代でも革新技術は兵器から生まれる。悲しい事ながらこれが現実です。
これらのロケットは、近代ロケットです。
近代があれば古代もあるはず。と云う訳で、古い話を辿って見ましょう。
何かを燃やしてその噴出ガスの力で推進すると云う、下話しのような「ニュートンの運動の第三法則」を、 そのまま形にしたロケットがそれです。しかも、ニュートンの時代よりずーっと昔にあったのです。
そのルーツは、我が国の歴史と文化に深く影響している偉大なる隣国、中国にあったのです。
火薬は、同じ時代に生まれた活版印刷、羅針盤とセットで中国の三大発明と言われています。
この三つは西洋史においては、ルネッサンスの三大発明と云われていますが、その数百年も前に既に中国で生まれていたのです。
そして、この火薬を使ってロケットが作られました。もちろん、中国ですから、「ロケット」とは、呼ばなかったでしょうが。
この飛び道具も人類にとって偉大なる発明であったと言えましょう。でも、いつ頃、誰が発明したのかは正確に判っておりません。
唐の時代の末か、宋の時代の始め、10世紀頃に黒色火薬が発明されました。
この火薬は、炭、硫黄及び硝石を混合したもので、ダイナマイト等の高性能火薬が発明される近年まで火薬の主流であり、今でも花火等で、皆様に馴染みの深い火薬です。
中国でも、先ず花火等に使われた様です。
ロケットらしい記述が歴史上に現れるのは、11世紀中頃であり「火矢」と呼ばれていた様です。
それは、図1の様なものです。
そうです! 皆さんが、夏の夜の海岸で飛ばすロケット花火;あの細い棒の先に火薬を入れた紙筒を付け、火をつけるとヒューッと言う音とともに夜の海に向かって飛んで行く花火;にそっくりな形でしょう。
この形は、技術的な理由から、近世のロケット兵器まで、その基本形状を変えることはなかったのです。
歴史の表舞台に登場してくるのは13世紀の始めになります。
1232年に宋の首都(現在の開封)をモンゴル軍が包囲した戦いで、中国軍が初めて使用した記録が残っています。
この時、中国軍は黒色火薬を使った様々な兵器を用いて、モンゴル軍を苦しめました。
中でも「火矢」の威力は素晴らしく、勇猛果敢なモンゴル軍を恐怖に陥れた様です。
当然の事ながら、当時の軍事大国であったモンゴルは、この威力に目をつけ、新兵器として採用しました。
その後、モンゴル大帝国が拡大する過程で、黒色火薬とロケットは急速に全世界へ広まって行きます。
13世紀中ごろにはアラブのバグダット攻防戦で、13世紀の末にはアラブと十字軍の戦いで、という様にまたたく間に、中東からヨーロッパに広まります。
13世紀はちょうど、我が国の鎌倉時代にあたります。
日本人は、蒙古襲来、いわゆる「元冦の役」でこの新兵器の洗礼を受けるのです。
図2の様な歴史の教科書に出てくる、鎌倉武士と元の兵士達の戦いの絵が、これを物語っています。
「やー、やー我こそは」等と名乗りを上げているところに、ロケットが飛んでくるのでは戦いにならなかったことでしょう。
台風の季節に襲来しなければ、日本もモンゴルに征服されていたかも知れません。
ヨーロッパに伝わったロケットは、イタリアで花火として発達し、「ロケッタ」(筒を意味するイタリア語)と呼ばれ、今日の言葉の語源となります。
戦争よりも遊びが上手なイタリア人らしいではありませんか。これは14世紀末のことです。
15世紀になると、このロケットはドイツ、フランスにも登場します。特にフランスは兵器として熱心に改良しています。
しかし、この頃でも、大きさは異なるものの、形は棒の先に火薬の筒がついたルーツと少しも変わっていませんでした。
今日の様に姿勢制御技術が無い時代では、安定して飛ばすには、重心より前に推力の作用点を置くことが必要だったのです。車に例えれば、後輪駆動より、前輪駆動が安定するのと同じです。
ロケットのお尻からガスを噴出する(行儀の悪い表現かな)今日の形になるのはずーっと後になるのです。
この形のロケットは、同じく黒色火薬を使った兵器で、格段に命中精度が高く且つ取り扱いが容易な新兵器「鉄砲」が、発明されてからは、兵器としては主役の座を降ります。
その後は花火や信号弾程度の役目で細々と使われ、ヨーロッパの歴史の表舞台からしばらく消えて行きます。
しかし、アジアではその後も長く兵器として使われていました。
18世紀末インドを侵略したイギリス軍は、インド軍のロケット兵器の反撃に出会い、予想外に苦戦を強いられました。
このロケットは、図3の様なものです。
忘れ去られていた兵器の思いもよらない効果に驚いたイギリスは早速これを改良し、ナポレオン皇帝のフランス軍との戦いに使用したのです。
当然、ナポレオン皇帝がイギリス軍に破れた、ワーテルローの戦場にも姿を現わしたことでしょう。
このロケットは、改良を進めたイギリス軍人ウィリアム・コングレーブの名前から、コングレーブ型のロケットと言われます。
この頃になると、火薬筒は鉄製になり、しっかりした木製の安定棒をつけ、射程も2キロから5キロ程度まで延び、実用的な兵器となっていた。
一つの戦いで数千から数万単位で使われる様になり、大量のロケットを効果的に運用する為に、専任部隊が編成された。
イギリスは、この部隊を、スペイン、ドイツ、アメリカとの戦争に使用したので、対抗上ヨーロッパ諸国はこぞってロケットを開発し保有することになった。
ここに、ロケットの第二の黄金時代を迎えたのです。
コングレーブ型のロケットは、安定棒を長くしたり、発射装置を考案する等の改良を重ね、飛行の安定性向上を図ったが、姿勢制御装置を持たなかった為、命中精度は低かった。特に風の強い条件では自軍に舞い戻ることもあった様です。
19世紀の半ばには、鉄砲を大型化した破壊兵器「大砲」が改良され、砲身にライフルを刻むことにより砲弾に回転を与え、命中精度を飛躍的に向上させることに成功します。
かって、「鉄砲」が発明された時と同じ様に
ロケットは、再び歴史の表舞台から消え去ることになります。
次に、ロケットが歴史の表舞台に登場するのは、20世紀の後半になります。
星の世界を旅行すると云う、人類の夢の実現に向かって技術者達の挑戦が始まり、近代ロケット技術が華々しく開花するのです。
この辺りのことは、次回にお話しましょう。
余談ですが、埼玉県秩父山中の吉田町の椋神社で毎年10月5日に開かれる秋祭りがあります。
この時に「流星」と呼ばれるロケットの打上げが奉納されます。直径10センチ以上の木の筒に黒色火薬を詰め、これを長さ20メートル程の竹の先につけたもので、発射台から打ち上げられ2〜300メートルまで上昇すると言う。
おそらく戦国時代に各地に伝わったものが、お祭りの出し物として残ったのでしょう。これと似た様な行事が、東南アジアの国々に残っているとも言われています。
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やっと一回目の原稿を書きあげ、ほっとしているところです。
拙文についての御意見/御感想等ありましたら、OYCのホームページ或いは、下名のEメールアドレス(tellnaka@aol.com)に、お寄せ下さい。
参考にさせて頂きます。
【King Bee:中西輝夫】